終戦の日に寄せて。戦死した親族。大叔父から聞いた「太平洋戦争」

エッセイ
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8月15日は「終戦の日」。

 

1945年(昭和20年)8月15日。日本人だけで310万人の犠牲を出した太平洋戦争が終わった。

 

僕の父と母は1944年(昭和19年)生まれなので、戦時中の生まれになる。僕は1981年(昭和56年)生まれ。つまり僕が生まれる36年前まで、日本は悲惨な戦争をしていたことになる。とても大昔の話ではない。

 

子供の頃、夏休みになると、八王子にある母方の祖母の実家へ毎年泊まりに行っていた。近くの神社で行われるお祭りに行くことが目的。

 

親戚の家には仏壇があって、そこに飾ってあった1枚の写真が子供心に目に留まった。写っていたのは軍服を着た男の人の姿。聞いてみると、その人は祖母の弟で、太平洋戦争で東南アジア方面に陸軍として出征し「戦死」をされたとのこと。僕の身近なところにも、戦争の悲劇があった。

 

それから多くの年月が流れ、僕の父が他界し、その法要の席でのこと。久しぶりに大叔父と再会をすることになり、あれこれと話を進めていく中で、ふと、大叔父に戦争のことを聞いてみたことがある。

 

大叔父は「満州」へと出征をしたが、幸いにも生きて祖国の土を踏むことができた。

 

‟戦争はとにかく悲惨だった。銃弾がピュンピュンと目の前を飛び交っていた。ついさっきまで話をしていた仲間が気が付いたら倒れていた。こうして今、命があるだけで儲けもの。あれが欲しい、これが欲しいなんて欲は何もない。戦争だけは二度としてはいけない”

 

そう話してくれた大叔父も、数年前に他界をした。父方、母方ともに祖父母、大叔父、大叔母も亡くなってしまい、戦争を体験した人の話を直接聞けることはなくなってしまった。大叔父が話してくれた言葉は今でも忘れない。

 

人間は愚かな生きもの。過ちを繰り返す。しかし、戦争だけは二度と繰り返してはいけない。

 

路上ライブをしていると、アメリカ人、イギリス人、中国人、韓国人、フィリピン人、オーストラリア人、ベトナム人、ネパール人など、国籍、民族関係なく足を止めて僕の歌を聴き、笑顔で楽しんでくれる人たちと出会うことがある。

 

僕はミュージシャンとして、音楽には‟人を笑顔にする力”があるものと思っている。当然のことながら「敵」や「味方」なんてものは無く、あるのは同じ時間を共に楽しむ「友人」という存在。そして、これは音楽に限った話ではなく、「文化」「スポーツ」などにも通じるものだとも思う。

 

21世紀になった今なお、世界の各地では戦争や紛争が続いている。

 

人の命は道具ではなく、人の命は儚いもの。

 

世界の人々が「友」となり、暴力ではなく、手を取り合って笑いあえる日が訪れることを願って。

 

部屋の外では、今日も夏蝉がジリジリと鳴いている。

 

 

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